松本 利夫 vol.02
僕にとってクラブチッタは、
〝聖地”でした
2021年川崎市市民文化大使に就任し、
地元・川崎の魅力を発信し続けているEXILE
MATSUこと松本利夫さん。
クラブチッタとの思い出や川崎の未来について
美須社長と熱く語り合いました。
〈PROFILE〉松本利夫(EXILE)
神奈川県川崎市出身。2001年にEXILEのメンバーとして「Your eyes only~曖昧なぼくの輪郭~」でデビューし、パフォーマーとして活躍。2007年劇団EXILES第一回公演『太陽に灼かれて』より役者としての活動を開始すると、「LONG CARAVAN」にて映画初主演、「ビンタ!~弁護士事務員ミノワが愛で解決します~」で連続テレビドラマ初主演を果たすなど活躍。2015年末にパフォーマーを卒業後は、役者業を中心に活動。松本利夫ワンマンSHOW「MATSUぼっち」シリーズの上演、今年7月には舞台「7本指のピアニスト~泥棒とのエピソード~」で主演を務めるなど活躍中。
〈PROFILE〉株式会社 チッタ エンタテイメント 代表取締役社長 美須アレッサンドロ
1978年 フランス・パリ生まれ、東京・六本木育ち。
2001年 青山学院大学卒業
2001年 株式会社電通入社
2004年 株式会社 チッタ エンタテイメント入社
2015年 株式会社 チッタ エンタテイメント代表取締役社長就任
川崎に対する愛情は
きっと本能的なもの
美須:初めまして。今日はよろしくお願いします。
松本:松本です。よろしくお願いします。
美須:EXILEさんが大きな存在過ぎて躊躇したんですが、ラ チッタデッラが100周年ということで、川崎市出身のMATSUさんにご出演いただけたら100人力だと思いまして。今回、オファーさせていただきました。
松本:いやいやいや、とんでもないです。
美須:MATSUさんは、川崎市市民文化大使としても活動されていますよね?
松本:はい。自分が生まれ育った川崎を改めて知りたい、川崎の魅力を自分自身が体験しながら伝えたいと強く思い、川崎市の魅力を伝える動画配信サービスを始めまして。動画内で福田市長に直談判させていただいたりもしたのですが、昨年の12月に任命して頂いて、川崎市市民文化大使として活動させてもらっています。
美須:きっと昔と今では、川崎のイメージもずいぶん変わったんじゃないですか。
松本:そうですね。僕が来ていた頃とはラ チッタデッラの風景がまったく違うので、驚きました。昔はもっと雑多なイメージで、こんなに街っぽくなかったような。
美須:たしかに石畳じゃなかったかもしれませんね。ラ チッタデッラといえば、チネチッタ(映画館)が地元に定着していますが、実は全国に知られているのはクラブチッタ(ライブホール)の方なんですよ。北海道から沖縄まで、皆さん好きなアーティストを目がけていらっしゃいますので。
松本:そうなんですね。
美須:クラブチッタが出来た頃はBEASTIE BOYSやPRIMAL SCREAM、ヘヴィメタでいうとPANTERAとか、そのあたりのライブはよく観に行ってましたね。といっても、地元は川崎じゃないんですが(笑)。
松本:どちらなんですか?
美須:六本木育ちなんですよね。
松本:(大笑い)そうなんですか!
美須:そうなんですよ。
松本:というと、生まれは?
美須:父はイタリア人で紛らわしいんですけど、パリなんですよね。
松本:パリ!?
美須:で、1歳から東京です。
松本:意外だらけですね(笑)。
美須:だから、逆にMATSUさんに聞きたいんですよ。地元の方がこんなにも川崎に愛着をもっているのは、なぜなんだろうと。
松本:きっと本能的なものですかね。「ここが自分が生まれ育った町だ!」という安心感があって、そこに愛情が芽生えてくるといいますか。
美須:川崎はほかの地域よりも特に地元愛が強い気がします。
松本:そうかもしれませんね。今でも地元の友達と交流がありますし、みんな地元に愛着を持ってる。
美須:私の友人もみんな川崎から離れたがらない。
松本:川崎って、いまもなお新しい発見が多くて。毎回、自分も楽しみながら動画を配信しているんです。いつかラ チッタデッラでも動画撮影させていただきたいと思っているんですが、そのときは社長もご出演いただけますか?
美須:お邪魔じゃなければ……。
松本:ありがとうございます!
美須:ただ踊りだけは、ちょっと勘弁してください(笑)。
クラブチッタは自分が
目指していた夢の舞台
松本:僕のなかでクラブチッタは、ダンサーの聖地。ミュージシャンで例えるなら、ここは日本武道館みたいな憧れの地で、拝むような場所でした.。
美須:聖地だなんて、嬉しい!MATSUさんがいらしていたのは、何年くらい前のお話ですか?
松本:20歳~26歳くらいの頃だから、25~26年前ですかね。僕がダンスを始めたのも『川崎ルフロン』で開催されていたダンスコンテストに出場したのがきっかけなので、川崎といったら、ダンスなんですよ。
美須:今でも大勢の若者がクラブチッタの裏で練習している姿を見かけますが、当時から川崎市はストリートカルチャーに力を入れていたんですね。
松本:僕も宮前区役所のガラス張りの広場で夜な夜な練習していました。その頃、活動する場といったら、クラブのちょっとしたステージだったんですが、クラブチッタは別格でしたね。舞台も音響設備も本格的。そこでパフォーマンスするのがステイタスで。当時は一張羅を着込んで、めちゃくちゃ気合を入れて行ったんですよ!
美須:たしかにクラブチッタは音響にもこだわっていますし、社員の約半分が舞台や照明、音響などの技術職なので、自分たち主催でイベント運営ができる。ジャンルもダンスからヒップホップ、レゲエと、なんでも対応可能なんですよ。これって、他のライブハウスにはないかなと。
松本:なかでも思い出深いのは、90年代にクラブチッタで開催されていた『MAIN STREET』(日本を代表するダンサーが集まり、ショーケースを行う伝説のダンスイベント)。 ここで踊れるのは、ほんのひとにぎりのダンサーだけ。イベントに行くこともステイタスでしたし、ましてやそこでパフォーマンスさせてもらえるなんて、自分が目指していた、まさに夢の舞台でした。
美須:ありがたいですね。
松本:クラブチッタって、ちょうど横浜と東京の間ぐらいじゃないですか。当時、ダンサーの中で横浜軍団、新宿軍団みたいな集団があって。それが一同に集まる、中間地点だったのを覚えています。
美須:関ヶ原の戦いのような?
松本:そうそうそう(笑)。みんなギラギラしていて、バチバチな場所だったんですよ!
美須:レッドラインのような感じがいいですね。共に戦うけれど、ホームでもアウェーでもないといいますか。
松本:それこそ、クラブチッタはHIROさん(現LDH JAPAN代表取締役会長)ともパフォーマンスさせてもらった一番思い入れが強い場所です。
川崎のストリート
カルチャーを世界へ
松本:僕は川崎って、ストリートカルチャーの発信源になる街だと思うんです。ましてや2年後は市政100周年、オリンピックでブレイクダンスという競技ができる。オリンピック種目にダンスができたことによって、今後もっともっと大きくなっていくと思うし、ダンサーも野球選手やサッカー選手のようにプロとして確立していけるといいなと思って。
美須:すごくよくわかります。川崎はほかの地域と違って、うつわが大きいといいますか。ちゃんぽんのように何でもありな街の特徴をよくわかっていますよね。
松本:そうなんですよ。川崎市がストリートカルチャーを受け入れているのが大きい。仮に今度のオリンピックで川崎出身の方がブレイクダンスで金メダル獲ったら、凄いことになる。漫画やアニメの聖地が秋葉原のように、川崎にも一つの聖地ができるんじゃないかと。
美須:なるほど。いままで川崎とストリートカルチャーって、あまりピンときていなかったんですが、今日のMATSUさんのお話と熱量で腑に落ちました。いろんなコンテンツがあるなかでも、川崎とストリートカルチャーは相性がいい。何かに火をつけるには一番近道のような気がしますね。このラ チッタデッラも新しいカルチャーを提案する場として、共に川崎を盛り上げていきたいです。
ラ チッタデッラは大きな
夢のカタチを叶えた場所
松本:しかし、100周年って、すごいことですよね。コンセプトのある街を作るって、やっぱり簡単ではないといいますか。今後はどういうビジョンがあるんですか?
美須:これからは家のテレビの方がきれいという時代になってくるかもしれない。でも、臨場感溢れる大スクリーンやクラブチッタの大音量って、家では味わえないでしょう? 私も根っからの映画小僧ですし、やっぱり創業時から大切にしている「映画」という軸は続けていきたいですね。
松本:たしかに、リアルを体験できる場って大切ですよね。
美須:イメージはイタリアの中心街にあるストリート。同じところを何往復もして、ジェラートを買ったり、ウィンドウショッピングをしたり。子どもからおじいちゃんまでが美味しいものを食べて、映画と音楽を楽しむ。それって心地よいことで、ウェルネス(健康)の一つだと思うんです。今後はそこを意識した街づくりもしていきたいと思っています。
松本:すごいですね。もともと自分たちも会社をつくる時に「ジムもスタジオも一つのビルにあるといいよね」というところから始まったんですけど、今後のさらに大きな夢は中目黒をEXILEの街にすること。とはいえ、叶えるのはそう簡単じゃない。だからこそ、すでに一つの街として成立しているラ チッタデッラは、大きな夢のカタチを叶えた場所だと思うんです。