ヒストリーHISTORY
チッタグループは「エンタテイメントと文化を通じて都市に新鮮な感動と活気を提供すること」を使命とする企業グループです。
その歴史は1922年(大正11年)、人々のためになり、人々に楽しみを与えられる町を育てたいとの志のもと、東京の日暮里で娯楽街づくりを計画し、映画館経営を始めた年までさかのぼります。
1920年代
- 1922年(大正11年)
- 東京の日暮里で娯楽街づくりを計画し、映画館経営を始める。
- 1923年(大正12年)
- 関東大震災で映画館の大半を焼失するも、ただちに復興させる。
1930年代

- 1936年(昭和11年)
- 当時人口17万人の川崎で映画街づくりに着手。
- 1939年(昭和14年)
- この年までに、「川崎銀星座」を皮切りに映画館を次々オープンし、合計6館の川崎映画街が誕生。
1940年代

- 1941年~1945年(昭和16年~20年)
- 映画館の数は間接的に経営したものも含め27館に及ぶ。
- 1945年(昭和20年)
- 本土大空襲のためほぼすべての映画館を消失。直ちに復興計画を練り、川崎銀星座をオープン。
1950年代

- 1950年(昭和25年)
- 蒲田駅東口に6館の映画館を建設。
1960年代

- 1964年(昭和39年)
- 「川崎ミスボウリングセンター」オープン。
- 1965年(昭和40年)
- ミススポーツセンター(昭和63年〜平成12年アスレチッタ川崎)オープン。
- 1968年(昭和43年)
- 川崎初のディスコをオープン。
1970年代

- 1971年(昭和46年)
- 蒲田ミス・ボウル(現アスレチッタ蒲田)オープン。
1980年代

1990~2000年代

- 2002年(平成14年)
- LA CITTADELLA(ラ チッタデッラ)オープン
- 2003年(平成15年)
- シネマ・コンプレックス「チネチッタ」が年間動員数・興行収入日本一を4年連続達成。(~2006年)
- 2011年(平成23年)11月
- フットサルコートを核とした新たなエンターテイメントエリア「Arena CITTA'」オープン
チッタグループの歴史は、日本の映画興行の歴史!
そして、川崎市の発展の歴史!